傷は自分の歴史であり人生の証

金継ぎ、金繕いというものは

ご存知でしょうか?

 

陶磁器のヒビや、割れてしまったところを

で接着して、などで装飾して

直す方法です。

 

 

こんな感じに直します。

 

 

さて、いきなり、なんの話だって

感じですが、

今回のテーマは、タイトルにもあるように

傷は自分の歴史であり人生の証だ

ということを金継ぎから学びます。

 

 

金継ぎ職人である、

金継宗家宗匠の塚本将滋大先生の

お言葉が胸に響き、

忘れないうちに記事にまとめました。

 

モノというのは、

時間と共に朽ち果てて、

最後はなくなるものです。

 

使っていれば、落として壊すこともあれば、

ぶつけて、欠けちゃうこともあります。

 

欧米の美の価値観からすれば、

完璧なモノが美しいというものがありますが、

日本の侘び寂びの美意識では逆になります。

 

傷があったところを、

金を使って装飾して、

どうだ、美しいだろう

私の傷は!

と主張するのが金継ぎです。

 

 

金継ぎの哲学は、

日本独特のワビサビという美意識です。

 

誕生して年老いていく

そのプロセスが美しいものだ。

 

武士は刀傷は誇りであり、

隠すものではない

侍の精神が金継ぎの中に現れている

 

傷は自分の歴史であり、

人生の証

 

傷をネガティブに考えずに

ポジティブに考えると

塚本先生は語ります。

 

この金継ぎの作品を

見た時に、壊れる前より

壊れた後の方がとても美しく

とても味がある作品に感じました。

 

傷の入り方

欠け方

割れ方

どれも2つと同じものがなく、

それがまた美しい

 

塚本先生のお言葉は人生にも

当てはまることが多く、

これはもう哲学です。

 

金継ぎによって陶磁器を直す方法は

人間の傷を治すときと同じだそうです。

 

ベースをなだらかに、

たいらにすることが一番大切。

その後に、純金でキレイにする。

最終的には見えなくなる部分

ここがとても大切

 

そうすることで、みんな気づくわけだ

傷を治すっていうことは

こういうことだって

見えない部分をどうするかが

とても大事

 

金継ぎの芸術性もさることながら、

日本の伝統的な哲学

これがとても素晴らしく美しい

 

傷は隠すものではなく、

弱さをさらけ出して、

それを誇ることで

さらに一段上の美に昇華する

 

欠点だらけで自信が持てない

という人は、

とてつもない潜在力があるというのを

あらためて感じました。

 

このような素晴らしい話を聞いた後だと、

くだらないことが書きにくいのですが、

どおりで、若い子が金を身に着けても

なんか似合わないわけだよねぇ

 

なんていうか、

本物の金なんでしょうけど、

偽物に見えるし、メッキっぽい

 

大人の女性が身につけると、

本人もそして、金自身も

より輝いて見える。

 

その輝きの後ろには、

平らにした傷があるのかと

思うと、もっと日頃の言動も

考えないといけませんねぇ