今から4年前、NHKの不妊治療の特集で
「子どもを産めなかった
我々(世代)は社会の捨て石だ」
という発言が大きな話題となりました。
子供を産まなかったという選択が
社会の捨て石扱いされており、
子供を作らないこと=悪みたいな
考え方がなぜいまだに広まっています。
昭和16年、子供を増やして
人口大国になろうとして
「産めよ増やせよ」
をスローガンとして掲げ
子供は最低5人は産もうという
非人道的な政策がとられてから
約80年・・・
日本の人口を1億人以下にしたくないという
政府側の思惑によって
なんとかして出生率を上げたいから
未婚女性や出産ができなくなった女性たちに
レッテルを貼っているのを見ると
イライラするのを通り越して、
思いつく限りの汚い言葉を
投げかけたくもなります。
2020年現代で考えると、
不妊の問題というのは、
何も女性の年齢だけの問題ではありません。
男性側の精子の質の低下
男性側の遺伝子欠損の問題
そもそも男性が下手くそで妊娠率低下などなど
いろいろな問題があります。
よく、そんなに子供が欲しいなら
もっと早くに結婚すればよかったじゃない
なんてことを言う人がいます。
不妊治療で税金が使われるなんて無駄
今いる赤ちゃんに税金を使って欲しい
なんてことを言う女性も少なくありません。
すでに出産済みの女性が
不妊治療中の女性をバカにしているのを見ると、
こんな腐った心をもった人間の
DNAなんか残したってなんの意味があるんだろ
なんてことが頭によぎり、
どす黒い感情が湧いてきます。
さて、
そんな不妊の問題
出産の問題といった
社会問題としての側面はさておき、
人間としての種の存続というのは
なんなのだろうかということを
考えてみました。
人間と動物の違い
動物や昆虫などは、
とりあえず数が増えれば
いいのかもしれません。
ただ人間という生き物は、
数だけ増えれば種の存続か?
というとちょっと違うと思います。
数だけ増えればいいのなら
なにも日本人が増えなくたって、
外国で増えてくれればよくなります。
人間の総数は増えているわけなので、
これといって何も問題はなく、
子を残せないということが、
なにかマイナスになることはないでしょう。
しかし、
日本という国を残したいとなれば、
日本人が増えないといけないですが、
日本人の血が流れていれば
日本人なのか?という問題があります。
国籍や法的な部分を考えると
それでもいいですが、
日本人が日本人たらしめているものは
その精神性や文化、価値観によるものだと思います。
日本人の血が流れていても
アメリカで育てば、
アメリカ人的になりますし、
中国で育てば、中国人っぽくなります。
日本人としての種の存続は、
血を介する必要はなく、
その精神性や知性によって
継承されていくものだ
と僕は思います。
仮に子供を残すことができなくても、
自分の意思、理想、思想、価値観は
人に残すことができます。
それは相手が他人であっても、
外国の人であっても、
継承することできます。
自分が残したかったものは
遺伝子、DNAなのか?
実際、血のつながった親子でも
うまく継承できずに、
後継者なしで廃業するなんてことは
よくあることです。
同じ志を持ち、
同じ理想に向かって進むことができる
他人は存在します。
これが動物や昆虫などと違った
知性による継承だと思います。
血を介さずに継承
たとえ、血がつながっていなくても
自分という人間が生きていたということを
誰かが覚えていてくれて、
なんでもない一言や、
ちょっとした思い出が他人の記憶に残り、
自分の生きた証が
その人の脳に刻まれるのなら、
たとえ、子供を残せずとも、
自分のDNAは残せたと言えるでしょう。
これは他の生物にはない
人間だけができる種の存続方法だと思います。
人間は他の動物と比べても、
身体能力や生殖能力は決して高くないです。
それでもなぜここまで
繁栄することができたのか?
それは、
血を介さない知性による継承ができた
これが他の生物にはない
圧倒的な力だと思います。
少子高齢化で日本人が減少
将来、日本がなくなるかもしれない
いろいろ言われていますが、
まったく心配はいりません。
日本人としての生き様
文化、精神性、価値観を持った人が
1人でも残れば、
またやり直すことができます。
といった角度で考えてみると
子を残す、残さないことに
フォーカスするのではなく、
今回お話したしたような
知性による継承
このあたりをもう少し
みんなで考えて見る必要が
あるのではないかと思いました。