先日、Facebookを見ていたら、
静岡県の学校で、
「いただきます」が無くなる
というショッキングな記事を見かけました。
どうして無くなるのかなぁ?
と思って記事を読んでみたら・・・
ある母親の一言
『なんで給食費を払っているのに頂きますを強制させるの
というクレームが入ったことで、
「いただきます」が無くなることに
なったそうです。
たぶん、
それなりの躾を受けて育った人なら、
なんて非常識なことを言ってるんだろう
と非難轟々だと思います。
でもこれもまた面白いものでして、
インターネットで、
「いただきます」について記事を調べると、
なんで言わないといけないの?
という意見も少なくありません。
自分の常識が、世間の常識みたいに
思っている人が多いので
今回、あらためていただきますについて
一緒に勉強してみましょう。
いつから広まった?
2018年現在の日本では、
食事の前にいただきます
食事の後にごちそうさまでした
というのがマナーとされています。
人によっては、
日本人なら当然だよね!
といった風潮があります。
しかし、この文化は
それほど歴史はなく、
昭和の頃から徐々に浸透していったものです。
「いただきます」というのは
狂言の中で使われることがあるので、
歴史そのものは古いんです。
しかし、浸透し始めたのは、
昭和からなんですね。
メディアの登場とともに広まった習慣です。
そのため、
全国どこにいっても、
「いただきます」は「いただきます」なんですよ。
方言が存在しないです。
もしも古来から言われているのであれば、
全国様々な言い方があり、
作法についても地域性がもっと出るでしょう。
いただきますの仕方で地域差があるとすれば、
手を合わせるか、言葉だけ発するか
という違いはあります。
浄土真宗の影響を受けて、
手を合わせる人が多い地区もあれば、
まったく手を合わせない地区もあります。
この手を合わせていうというのは
テレビのグルメ番組やバラエティの
影響が大きいです。
テレビを見て、
あぁ手を合わせないといけないんだと
思って、真似する人が増えてるんですね。
いただきますの意味は?
人によって、
使い方が全く違うので、
同じ言葉を発していても、
ぜんぜん、中身が違うということがあります。
大きく分けて3つくらいの意味があります。
①食事に携わってくれた人への感謝
②食材、他の生命をいただくことへの感謝と懺悔
③なんとなく言わないといけないもの(挨拶的)
といった意味合いがあります。
他にも宗教的な意味や祈りの意味というケースもあります。
今回、3つ目の意味合いが問題になっています。
小さい頃に親の躾や学校で、
「いただきます」って言いなさい
とだけ教えられて、
なんとなく言うのが習慣になってる人です。
ほとんど、挨拶的な意味合いになっており、
これといってなんの意味もなさない言葉に
なっているケースです。
説明がないから、
なんで言わないといけないの?
というのが分からなくて、
今回、冒頭でお話したような
クレームが起きるんですね。
日本の教育でありがちなことだと思います。
とにかく、言えとだけ言われて、
理由や必要性の説明は無し
反抗するとただ怒られるだけみたいな
こうした教育現場の問題が
今になって浮き彫りになってきました。
モンスターペアレントと言われる
親御さんたちはある意味被害者なんですよ。
まともな教育をしてもらえず、
権利ばかりを主張する人格形成をされたんですね。
そういった意味で、
今回、給食費を払っているのに、
なんで強制するんだよって文句言う話を見て、
とても寂しい気持ちになりました。
理由が分からないんだから、
教えてあげればいいんですよ。
それでも考えが合わないなら、
その人だけ、言わなくても良いって
特例を出してみればいいのにね。
なんで学校全体で無しにしちゃったんだか
この経緯を知っている他の親御さんや
同級生、先輩が聞いたら、
いじめの温床になるでしょう。
今回、静岡の学校の対応は
悪手だったと思います。
教育現場の人間が教育を放棄したんですからね。
少し話は変わりますが、
海外の人にいただきますを
教えるのはなかなか難しいですよね。
翻訳ツールを使うと、
「いただきます」
↓
「Let’s eat!!」
いやぁ・・・なんか違う
たぶん、
Let’s eat!!じゃなくて
I take your life.
のほうが意味合いが近いです。
他の命への懺悔から
申し訳なく思いつつ、
感謝の意を示す。
といった感じでしょうか。
言わないといけないのか?
あれこれ書いてきましたが、
言わないといけないのか?
という部分についてまとめたいと思います。
「いただきます」の意味が、
他者への感謝だったり、
命をいただくことに対する申し訳なさ
だったりするのであれば、
言わなければいけないものではなく、
自然と出てくるもの
というのが正しいです。
誰かに言わされたり、
強制されることではないと思います。
自分の中でそういった感情が湧くのであれば、
言ったほうがいいでしょう。
なにも湧かないなら
無理して言わなくても良いと思います。
ただし、一つだけ言わないと問題も起きます。
これはマナーや礼儀全般に言えますが、
他人から見た時に無作法だと思われると
自分の人間性や信頼性を損なう可能性があることです。
たかが、これだけのことで?
そんなことでグチグチ言う人間と付き合いたくないわ
こっちから願い下げという意見もあるようですが、
そういう考え方を持っている時点で、
ある意味、同種の人間なんですよ。
自分の価値観や考え方を他に強要しているという点で、
まったく同じ行動を取っているでしょう。
ぶつかるのは当然だと思います。
いただきますを言わせるのはおかしい
強制するのもおかしい
ここまではいいですよ。
でも、言わなくてもOK
個人の自由だからね
とはならないのがマナーというものです。
屁理屈な人は、
明治や大正のころの記録には、
そんなこという習慣がなかった!
とか言う人もいますけど・・・
今は明治でも大正でも昭和でもなく
平成です。
今現在はマナーとされてるんだから、
昔はどうというのを出してもしょうがないでしょう。
お金払ってるのに、
なんでこっちが感謝しないといけないの?
むしろ、客として来てあげてるんだから
感謝される側なんだけど!!
なんて意見も若い人の間であるようですね。
いやぁ、たかだか数千円払っただけで、
こんな偉そうな態度とれるって
なんかすごいね。
最後に食育の観点から一言
食べ物から体に必要な栄養素が摂れます。
いただきます、ごちそうさまという
挨拶や所作から
心に必要な栄養素を補えます。
2つの栄養を補う行為が食事です。
さて、損得で考えてみても、
言ったほうがお得なんじゃないですかね~
えっ人前で言うのが恥ずかしい?
もう、羞恥心なんてあったの!
人前で言わないことのほうが
もっと恥ずかしいんだよ?