日常生活を送っていると、
生産性が低い能力だと、
存在価値がないみたいな
社会の風潮を感じます。
能力を高めて、
その力を誰かのために
発揮して貢献する。
勉強が出来て、
頭がいいなら、
その頭脳を社会のために
活用するべきだとか
そんな感じの考え方ですかね。
他者に貢献できないと、
人間的な価値が低い
もっといえば、
価値がない
みたいに思っている人もいますね。
でもこれって、
人間の価値の話に見せかけて、
会社側から見た、
労働者としての価値ですよね。
人間の価値というのは、
際立った才能があるとか
頭が良くて勉強ができるとか
スポーツ万能とか
そういったもので、
計るものではないと思うんです。
いつの頃からか、
他人より秀でいないと、
存在価値がないみたいな
考え方を植え付けられてしまいます。
小学校で、
漢字が書けない、読めない
算数の計算ができない
跳び箱が怖い
みたいな経験、
誰でも一回くらいはありますよね。
僕も今でこそ、
博士にまでなりましたが、
当時は漢字は書けないし、
水に顔をつけるのも怖いし、
いやほんと、できることが少なかったです。
そうなると、
アメリカほどではないですが、
スクールカーストみたいなものが出来て、
なんかこういじめられるわけじゃないけど、
嫌な思いをする子どもたちいっぱい居ますよね。
別に方程式解けたからなんなの?
少しむずかしい漢字が書けるからなに?
なんて言えば、
勉強しない言い訳みたいに聞こえるけど、
実際問題として、
20歳過ぎて、その能力使っている人
どれくらいいますかね?
今、難しい漢字が書けないことで、
仕事にならない人
複雑な計算式が解けないため、
会社をクビになった人いますか?
専門職でもない限り、
普通はないですよね~
後になってみれば、
大した話じゃないことで、
自信を失い、
自分は価値がないんだと
錯覚させられてしまい、
大人になっても引きずってる人
結構いますよね。
別に能力なんか
高くなくても、
人間なんて
生きてるだけで価値がある
と思いますよ。
例えばですけど、
今の時期だとありそうなのが、
おじいちゃん、おばあちゃんが
暑さで倒れてしまって、
救急車で運ばれたとするじゃないですか
病院にお見舞いに行ったら、
大事にならず、
ベッドですやすや寝てる姿を見た時、
あぁ~よかったぁ~
って思いますよね。
能力や才能で評価するなら、
この先、特別社会に貢献することもなく、
治療や介護が必要になることが多い。
もしかしたら認知症になるかも?
という高齢者に対して、
あなたは無価値
今すぐ死ぬことが、
社会に貢献できる唯一の方法です
とか考えますか?
まぁ普通は考えもしないと思います。
厄介なことに、
社会のシステムからすれば、
労働人口以外は価値がないんですよ。
でも、
家族や友人、仲間の間では、
ただ生きてくれているだけで
とても価値があります。
別に社会に貢献なんか
できなくたっていいんですよ。
ただ笑ってそこにいてくれるだけ
僕は嬉しいし、活力にもなります。
生きる理由や
やりたいことが無かったのなら
僕のために生きて欲しい
そんな風に願ってしまう人が
ここに一人いるので、
もう、存在価値は大アリですね。
生きてくれてさえいれば、
少なくとも他者(僕)に
貢献できています。
ブログ読者の中には、
僕と面識ない人も
たくさんいると思いますが、
会いに来てくれれば、
僕はあなたにそう感じると思います。
そんな良いご縁が
これから増えていったらいいなぁ~
なんてことを考えてしまう
今日このごろでした
こんな記事書くってことは、
なんかあったの!?
と思う人がいるかもしれませんが、
なんとなく、そんなことが頭によぎったので、
忘れないうちに書き留めておきました。
なので、特に落ちはないですよ~