知性というのは
高すぎても低すぎても
対人関係において
トラブルになるものです。
同じレベルだったら、
トラブルが起きないのかといえば
そんなことはないのですが、
差があると起きるであろう
トラブルをちょっとまとめてみました。
ここでいう知性というのは、
何かあったときに
どういうふうに考えるか
ということを示しており、
学歴や知識の量などは
まったく考慮していません。
では早速具体的な例を
出しながらお話しますね。
全く知らない話題が出てきたとき
会話をしていると、
全然聞いたことがない
知らないことについて
話になることがありますね。
そんなときに、
知的な人と
そうではない人では
取る行動が変わってきます。
知的な人
知らないことに興味を持ち
すぐに相手に聞いたり
すぐに調べたりします。
そうではない人
自分がその話題を
知らないということを隠して
学ぼうとしません。
知らないということが恥ずかしいと
感じる人もいるようですね。
変なプライドが邪魔をして
学習機会をなくしていくわけです。
知性が高い人から見れば、
なんだこいつやる気ないのかに見えるし
知性が低い人からすれば
知ったかぶってんじゃねえよとなるわけです。
互いにストレスを感じますね。
自分にとって専門外の話が出たとき
共通の趣味や話題だけではなく、
仕事の話やどこかで仕入れた話など
全然よくわからない分野の話が
出てくることがあります。
そんなときにも対応が変わってきます。
知的な人
どんなマニアックな話でも
とりあえずは好奇心が出てくる
色々聞いた結果、
興味がなくなることはあるけど
最初から遮断はしません。
そうではない人
自分には役に立たなそう
自分には関係のない話と思って
聞き流します。
こうして学習機会が失われます。
知性が高い人からすれば、
新しい知識や情報が入るだけで
きもちいいってなる変態なので、
とりあえずあれこれ聞いてしまいます。
知性が低い人から見れば、
そんなこと聞いて何になるの?
グダグダつまらん話してんじゃねえよ
となるわけです。
知性が高い低いで書いてしまっていますが、
どっちがいいということではないんです。
差があるとこうなるってだけなんですね。
誰かを批判するとき
知性や教養があってもなくても
他者を批判する場面というのは
出てきます。
知性的な人は喧嘩しない
というイメージの人もいますが、
喧嘩はむしろたくさんします。
ただし、その喧嘩に求めているものは
ちょっと違うのです。
知的な人
お互いに共有している知識を
より高いレベルにするために、
あえて批判的なこと言います。
大学や学会でもよくある話ですが、
アラ探しをしているわけではなく、
改善点や改良点を見つけるために、
ああだこうだ言ってるわけです。
とはいえ、
このことを理解していない人に、
批判的な意見を言うと、
ただただストレスを与えることになるので、
難しいところです。
特に学生を相手にするときは、
自信喪失につながるので、
ある程度、加減が必要だと思います。
そうではない人
他者を批判するときの
精神状態はただ攻撃するための批判です。
建設的な話をするために
批判しているわけではなく、
相手を罵倒したい
相手を蔑みたい
レッテルを貼りたいがために行います。
特にこの批判するときは
知性があろうがなかろうが
喧嘩になるわけです。
そのときに、
相手との知性に大きな差があると
本当にどうにもならなくなります。
知的な人は、
よりよくするために
話をしている気になっていて
そうではない人は、
相手を罵倒するために批判しているわけです。
行っている行為は批判なんですが、
その先に求めるものが違いすぎるから
どちら側もストレスなんですよね。
知性が高い人は、
改善や改良をしたくて批判している
という思考回路になっているから
当然、相手にも無意識にそれを求めてしまいます。
しかし、
知性があまり高くない人は、
相手を攻撃するために批判しているので、
自分が批判されたときに、
自分のために批判してくれているなんて
少しも考えません。
だって、批判=攻撃なんだから
相手は私を責めたくて
それっぽい理屈をつけていると感じるわけです。
これは感じ方の問題なので、
なかなか難しいですね~
会社の嫌な上司とかにもいるでしょう
建設的な話ができず、
意見するとキレる人
単純にあなたとの知性の差から
起きているトラブルです。