ALS嘱託殺人事件、安楽死の是非について考える

筋萎縮性側索硬化症(ALS)を

患っていた京都市の女性が

安楽死を希望し医師から

薬物を投与され殺害された

という事件によって

安楽死の議論が少しずつ

されるようになってきました。

 

 

今回の事件は

日本の法律をベースに書くと

医師が薬物を投与して殺害した

という表現になりますが

いきなりよくわからない医師に

襲われて殺されたわけではなく、

本人が安楽死を希望していた

という記録が残っており、

ただの殺人事件として扱うべきなのか

そこも議論になっています。

 

日本では積極的安楽死というのは

認められていませんから、

本人が安楽死を望んでいたとしても

これは嘱託殺人です。

 

しかし、

安楽死を望んでいた女性の

ツイッターを読む限りの判断になりますが、

安楽死を希望したくなるのも

仕方がない状況だったと思います。

 

ALSに限らず治療が困難な病気になると

医療従事者との人間関係が

生きる希望を失わせるというのが

よくあることです。

 

すべての医師がそうという

わけではないですが、

面倒くさい治療をしてやってるんだから

感謝しろよって顔や態度をしている医師は

けっして少なくありません。

 

医師だけならまだしも

看護師も一緒になってそういう態度を

してくる病院もありますから

もう治療なんかしなくていいから

死なせてくれって思うのは

仕方がない部分があります。

 

今回、安楽死を希望した女性の

ツイッターを読んで見ると

下記のような書き込みがありました。

 

医師は気持ちはわかると言うけれど

現状を理解していると思わない

綱に身体的苦痛・不快を抱え、

手間のかかる面倒臭いもの扱いされ、

「してあげてる」「してもらってる」

から感謝しなさい

屈辱的で惨めな毎日がずっと続く

ひとときも耐えられない

安楽死させてください

 

彼女は2018年頃から

海外で安楽死をするために

様々な活動をしていたようですが、

亡くなられる最期の頃は、

寝たきりになり、

文字を書くこともできないから

遺書を書くこともできない

まばたきする筋力もなくなっていた

という状況だったようです。

 

彼女が残した最期の

ツイートを見ると

65歳のヘルパーさんから

罵倒されていたようで

トイレ介助のせいで体がボロボロになった

と責められ続けいたそうです。

代わりの人がいないから

むかついてもやめろと言えず

とても惨めな思いをされていたようです。

 

 

このような状況のときに、

それでも生きろ!

と生きることを強要することは

はたして正しいことなのか

考えなければいけないと思います。

 

 

生きてさえいれば

なにか良いことがある

希望を持って生きましょう

と誰もが口を揃えて言いますが、

現在の医療では治る見込みがほとんどない

病気にかかっている状況で

その言葉を投げかけられても

本人の気持ちはどうなるんだ

という部分があると思います。

 

同じ病気を経験している人が

言うならまだ良いのですが、

自分自身は病気とは無縁で

恵まれた境遇にいる人に

綺麗事で言われると

言葉で言い表せない負の感情が

湧くことでしょう。

 

 

一つの選択肢として

安楽死というものが

認めるべきなのか

考えて見る必要があります。

 

 

オランダでは安楽死は年6000人以上

日本では積極的な安楽死を

認められていませんが、

世界で初めて安楽死を合法化した

オランダでは年間6000人以上の人が

安楽死を選択しています。

 

1日約16人の人が

安楽死を希望していることになります。

オランダの人口は

1728万人なので、

日本の7分の1ほどです。

 

単純計算してもしょうがないですが、

もし日本で安楽死が合法化されると

一日112人ほどの希望者がでる

可能性があるわけですね。

 

年間にすると40880人になる

計算になるので

かなり多すぎるように感じるかも

しれませんが、

日本で指定難病に認められている人は

91万2714人いますので、

難病の方のうちの4.5%の人が

希望する可能性があると

考えるとそこまで見当違いの

数字でもないかもしれません。

 

 

安楽死を合法化すると?

今回の事件のような話を

見聞きすると

安楽死を合法化したほうが良い

苦しみながら生かされてても

なんの意味があるんだ

と感じてしまいがちですが、

もちろん、合法化されないには

それなりに理由があるわけです。

 

 

1つは難病にかかったり

重度の障害を抱えたときに

それでも生きていたいという

気持ちを言いづらくさえてしまう

という点があります。

 

難病になったからといって

誰もが死にたいとおもっている

わけではありません。

 

障害があっても、

前向きに生きている人は

たくさんいます。

 

しかし、

安楽死が合法化されると

こんなにお金をかけて

色々人の手間をかけさせて

迷惑だと思わないの?

そろそろ安楽死を考えたら?

という圧力がかけられる

ことが考えられ、

本心では生きていたいと思っていても

これ以上迷惑かけるのも・・・

となって死を選択してしまうことが

考えられます。

 

現状、安楽死が合法化されていなくても

家族や周りから死ねばいいのに

みたいな態度をとられて

苦しんでいる患者さんはいます。

 

そんな状況の中、

安楽死が合法化されたら、

家族が口裏を合わせて、

本人も死を望んでいます

という流れを作られ、

安楽死を矯正されることが

懸念されています。

 

 

 

ネガティブにだけ考えるなら

現状のままでいるのが

もっとも無難なことなのでしょうが

死という重いテーマだからこそ

少しずつでも議論はしていく

必要があると思います。

 

 

僕個人の見解としては、

医師たちを再教育することと

法整備を徹底することが前提として

安楽死は1つの選択肢として

必要な時期にきているのではないか

と考えています。

 

安楽死を認めると

残された家族はどうするんだ

安易に死を選ぶ人が出てくる

といった意見もありますが、

自ら死を選ぶ人というのは

そんな安易に死んだりしていないと思います。

 

日本の令和元年の自殺者数は

20169人です。

 

令和2年は1~6月までで

9338人です。

 

新型コロナで失業したり

会社が傾いたりと

いろいろなことが起きていますが、

自殺者は急増しておらず

人間はそんな簡単には死を選べない

というのがよくわかると思います。

 

安楽死という選択肢もある

というのが逆に心の支えになり

どこか救われた気持ちに

なる人もいるではないでしょうか

 

まだまだ考えなければいけないことは

山ほどありますが、

少しずつ議論していけたらと思います。

 

 

日本で例外的に安楽死を認めるためには

4つの要件を満たす必要があります。

1:耐え難い肉体的苦痛

2:肉体的苦痛を除去する方法がない

3:死期が迫っている

4:患者の明らかな意思表示

 

精神的な苦痛は

肉体的な苦痛を上回る痛みと

なることがあるため、

この要件も考え直したほうが

いいのではないかと思います。