急に与えられた環境
課せられた試練や運命
そんな状況のときに、
自分自身どういう人間でありたいか?
どういう態度を取るか
この自由はいかなる状況でも、
決して奪われることはないそうです。
自分の感情は自分で選ぶことができる
この考え方は、
ナチス強制収容所での
実体験を元に書かれた
「夜と霧」でお馴染みの
ヴィクトール・エミール・フランクル先生が
仰っております。
本の内容をざっくりとお話すると、
強制収容所で生活している人たちの
行動分析をして、人間として
最後までもっている自由とはなにか?
このことを調べたものです。
強制収容所では、
満足に食料を供給されないため、
飢えで苦しみ、さらに重労働で疲弊していました。
そんな中、収容されている者同士で
優しい言葉を掛け合い、互いを励まし
日々を過ごしていたそうです。
普通であれば収容されている者同士で
喧嘩になったり、勝手に上下関係を作って
さらに弱いものを虐げたりしそうなものですが、
助け合って生きていたそうです。
ただでさえ、まともな食料が配られない中でも、
体が特に弱った仲間を見つけては、
隠しておいたパンの一切れをこっそりあげて、
助け合っていたという記録も残っています。
もちろん、このような美談ばかりが
あったわけではありませんよ。
中にはおかしな人もいました。
このような極限状態に追い込まれれば、
良心なんて真っ先にぶっ飛び、
自分のことだけを考えても
まったくおかしくはないでしょう。
そんな極限状態でも、
自分の感情や態度をどう表現するか?
それは自分自身で選んで決められる。
という人間の心理を垣間見た瞬間です。
著書の中のセリフをお借りすれば、
「あらゆるものを奪われた
人間に残されたたった1つのもの
それは
与えられた運命に対して
自分の態度を選ぶ自由
自分のあり方を決める自由である」
詳しくはこちらの本を読んでくださいね~
いかなる極限状態で追い込まれても、
自分の人間性までは奪うことはできません
それは、ナチスの収容所のような
過酷なんて言葉ではとてもとてもな状況でも、
助け合い、譲り合って仲間とともに生きる
そういう選択をしつづけた人たちがいます。
いきなりちょっと日常からぶっ飛んだ
お話になってしまいましたが、
私達の日常でこの教訓を活かすとしたら
なんになるんだろうか?
それは、
感情の制御、マネジメントだと思います。
イライラしたり、悲しんだりという
感情は、誰かに何かを言われたから
なっているのではなく
自分でその感情を選んで
イライラしているわけです。
感情とは受け身のものではなく、
自らそうしているというのが
今回のお話から学ぶことができました。
パッと聞くと、
いやいや、相手の言葉がきついから
イライラしているわけで~
と反論もしたくなりますよね。
でも誰でも似たような経験があるでしょう。
ちょっとボケっとしてるときに、
友達から、ちゃんと聞いてる?と言われたときは
なんとも思わないですよね。
あぁごめんごめん、ちょっとぼぉっとしてた
みたいな返答になるでしょう。
でも、嫌いな上司とかに言われると、
口ではすみませんというかもしれないけど、
内心、うるせえよバーカみたいな
そんな気分になることもあるでしょ
言葉だけを見たら、
同じことを言われていますし、
相手のその言葉に乗せている感情も
あまり変わらないかもしれません。
相手によって自分の感情を選んでいる
というのがわかる例の1つですね~
タイトルにもある通り、
自分の態度を選ぶ自由は
いかなる状況でも奪うことは出来ない
今までは苦しかったとしても、
これからは、楽しくなるような
選択がきっと誰でもできるんですよ